おねえさんが亡くなる

病気療養中だった叔母がなくなりました。

※自分は小さいころからずっと「おねえさん」と呼んでいたので、ここでもおねえさんと書きますね。

2004-01-02

※写真は2004年1月撮影。右がおねえさん。中央がおばあさん。左端は誰でしょう?

おねえさんは、おばあさんと二人暮らしでした。

お正月やお盆などは、おばあさんの家に親戚一同が集まって食事をするのが自分が小さいころからの習わしでした。

おばあさんとおねえさんが、たくさんの料理でみんなをもてなしてくれ、とても楽しい時間を過ごしてました。カニが美味しかったなあ。

小学生の頃からなので、実に20年以上続いていた恒例の行事でした。

僕たち孫がそれぞれ独立し家庭を持ってからは、いわゆる”在所”が実家となったため、おばあさんちに集まる機会は徐々に減っていきました。

ただ、おねえさんは度々ウチの実家にも遊びに来てくれて、母と一緒にヨシヅヤに行くのをいつも楽しみにしていたようです。

半年ほど前、おばあさんが102歳で亡くなりました。

「気を付けてね…気を付けて行ってね…」

おばあさんの葬儀で最後のお別れの際、棺に眠るおばあさんに、おねえさんが何度も言ってました。

その言葉が切なく、とても悲しいシーンでした。

2018-10-05
おばあさんの葬儀でおねえさんと一緒に…。葬儀ですが笑顔で撮れました。これが最後の写真となりました。

今回、おばあさんの後を追うように、おねえさんが亡くなってしまいました。

僕は病気の後のおねえさんを見ていなかったので、まるで別人のように痩せてしまったおねえさんを見て、涙が溢れてきました。しゃべることができませんでした。

通夜式にはウチの3歳と5歳の子どもを連れて行きました。

上の子は、半年前のおばあさんの葬儀にも出ています。
おねえさんの遺影を見て「大ばあちゃんのお葬式にいたよね」と覚えていたようです。

まだ「死」が何なのか分からない歳だとは思いますが、パパが大好きだった人の最期の別れに子ども達にも立ち会ってもらえたのは良かったです。

おねえさん、今まで本当にありがとうございました。

投稿者プロフィール

たきちゃん
愛知県北名古屋市に住むたきちゃんの日常。

印刷・動画・Web制作の株式会社龍巳堂で社長をやっております(^_^)

仕事や趣味の他各種団体での活動などを書いております。

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